谷崎潤一郎 『蘆刈』
昭和7年に発表された短編小説 『蘆刈』 は、今の京都府乙訓郡大山崎町あたりが舞台となっている。昔、訪れたことがあるのだが、桂川、宇治川、木津川の三つの川が合流し、後ろは懐深い山がそびえる風光明媚な土地であった。名水の地として知られる土地で、ちょうど真ん中に大阪との府境がある。大阪の側を山崎、京都の側を大山崎と呼ぶようである。
谷崎潤一郎のことを 「大谷崎」 と呼ぶことがあるが、三島由紀夫の著書に 「おおたにざき」 とルビが振られているのを見かけたことがあり、僕はあれは大山崎をもじったものだとばかり思っていた。ところが、小谷野敦によると、三島の読み方は間違いで、本来 「だいたにざき」 と読むのが正しいらしい。
どんなに偉大な作家でも、他と区別する必要がない場合は、一般に「大」をつけたりはしない。大芭蕉、大馬琴、大漱石、大鷗外などとは言わないのである。「大トルストイ」というのも、アレクセイ・トルストイという別の作家がいたからだ。そして谷崎が大谷崎と呼ばれるようになったのは、弟の精二も作家だったからである。
なるほど。「大(おお)なんとか」 と読むのは歌舞伎の世界だけなのかもしれない。
『蘆刈』 は山崎の川辺でひとり月見をしている 《わたし》 が川の中州で出会った大阪の男から不思議な話を聞かされる、という物語である。ほとんど紀行文のような書き出しだが、前年に発表された 『吉野葛』 の前置きがやたらと長いのに比べて、割とすぐに物語世界へ引き込まれて行く。男が語る幼い頃の話は明治初期のはずなのに、まるで平安朝を思わせる不思議な語り口である。そして、さらに不思議な結末。現在の山崎は高速道路が通り新幹線が走る場所である。《わたし》 が経験した一夜のまぼろしは、もう見ることができないのだろうか。
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