オイストラフ/ブラームス 『ヴァイオリン協奏曲』

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

 CD ショップに上の2枚のアルバムが並んでおかれている。どちらも、ソ連ウクライナ)のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974) のブラームス作曲 『ヴァイオリン協奏曲』 である。上は1960年録音のクレンペラー盤、下は1969年録音のセル盤で、どちらも両者の演奏を比較しながら、こっちのほうが名盤だという風な紹介文がオビに書かれている。なんだよ、両方とも同じレコード会社じゃないか。どういうつもりなんだ。売る気があるのかないのかよくわからない宣伝の仕方である。こんなデブでハゲのおっさんの CD なんかどうせ誰も買わないだろう、みたいなやる気のなさが伝わってくる。クレンペラーとセルだったら、どちらもブラームスならハズレはないだろうと思いつつ、ロボット・アニメみたいなジャケット写真のクレンペラー盤を購入する。
 で、この CD なのだが、同じクレンペラー『ドイツ・レクイエム』(1961年録音) とは比べものにならないくらい、音質が良いので驚いた。
 YouTube で、オイストラフの 『ヴァイオリン協奏曲』 の映像を見つけたので、聴いてみよう。以下は第3楽章の映像。ロジェストヴェンスキー指揮、モスクワ放送交響楽団による1966年の演奏である。

 テクニックといった次元を超えて、鬼気迫る演奏だ。弓を弦に叩きつける弾き方は、ジミヘンを思わせるような激しさである。クレンペラー盤の演奏はちょうどこんな感じのものだ。ごめんよ、デブとかハゲとか書いたりして。フルシチョフ似と書けばよかったんだよね。(いや、それも微妙だな。)
 オイストラフは20世紀の巨匠である。若い女性ヴァイオリニストの CD なんて聴いている場合じゃないよな、と言いたいところだが、実は彼は1935年に行われた第1回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで、当時15歳の天才少女ジネット・ヌヴー(1919-1949)に負けたことがある。コンクールの成績は1位がヌヴー、2位がオイストラフだったのだ。*1
 ヌヴーブラームスの協奏曲を演奏している。以下は1948年のライヴ録音から。デゾルミエール指揮、フランス国立放送管弦楽団の演奏である。

 奇しくもオイストラフクレンペラー盤と同じオケではないか。何か因縁のようなものを感じてしまう。
 ヌヴーは30歳の若さで、飛行機事故のため亡くなったという。こういう話にドラマ的なものを連想するのは間違っているのかもしれないが、いずれも素晴らしい演奏であることは間違いないだろう。


 『ヴァイオリン協奏曲』 は1878年に初演された、ブラームス40代のときの作品である。彼は1876年から1885年の間に、4つの交響曲と2つの協奏曲を完成させ、さらに 『ハンガリー舞曲』 の第2集を出版している。『ヴァイオリン協奏曲』 は、ブラームスにとって最も多作で充実した時期に書かれた楽曲なのである。

おまけ 『ピアノ協奏曲第3番』???

Lazic, Brahm piano concerto, Atlanta Symphony Orchestra - Channel Classics Records
 最近、デヤン・ラツィックというクロアチア出身のピアニストが、ブラームスの 『ヴァイオリン協奏曲』 のヴァイオリン独奏パートをピアノ用に編曲し、『ブラームス ピアノ協奏曲第3番』 という題名で発表した。CD ショップで試聴したのだが、決して悪くない。ああ、この曲はピアノに向いているんだな、(よく考えたら、ブラームスはピアノで作曲したんだものな)と思った。
 ラツィックは今年の3月に来日するそうなので、ちょっと話題になりそうである。

*1:1952年に行われた第2回同コンクールでは、ダヴィッドの息子イゴールオイストラフが1位を獲得している。