先生と私

 こんな夢を見た。
 父が危篤で虎ノ門にある病院へ入院している。病室には家族の者が並び、私もその一人である。
 看護婦が私を呼んだので廊下へ出てみると、荷物が届いているという。詰所へ行くと、アマゾンの背の低い段ボール箱が置かれてある。看護婦から肥後守を借りて、箱を開封する。中には原稿用紙のようなものがぎっしりと詰まっていて、一番上には先生の名が書かれている。
 先生、死んじゃうんだ。
 中身を読んでもいないのに、私はそう思った。それは予感ではなく、確信であった。
 私はずっしりと重い原稿の束を取り出し、膝に乗せて読もうとした。二頁目には、「これを全部読んで、感想をブログに書くように」 と命令口調で書かれていた。今は取り込み中で、それどころではないのに。そのまま頁を捲っていくと、下の文句が眼に這入った。

「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世には居ないでしょう。とくに死んでいるでしょう」*1

 やっぱり先生、死んじゃうんだ。
 その時、頭に浮かんだのは先生の奥さんの容貌である。私は袂へ手紙を投げ込むと病院から飛び出し、俥を走らせて新橋の停車場へと急いだ。
 停車場は多くの客でごった返している。私は三等の硬い座席に腰を下ろし、懐から取り出した敷島を口に咥えて、燐寸をする。汽車が動き出したので、窓を少し開けると、心地良い風が入ってくる。背後に坐った乗客の会話が聞こえている。
「貴女はどちらへ?」
「網走まで」
 私は先生の手紙を最初から読み始めた。*2

*1:夏目漱石 『こころ』 より

*2:もっと長い夢だったような気がするけど、覚えていない。