プライドの高そうな表現
「すべからく」の用法が正しいか間違っているかに関係なく、文章や発言の中に「すべからく」の言葉を使う人はプライドが高いのではないか? または、自分の教養の高さをひけらかしたいか、語彙の多さを見せつけたいか、見栄を張りたいか、背伸びした表現を使いたいか、のいずれかだろうと思われる。
僕もプライドが低いわけではないので、見栄を張ったり背伸びをしたりすることが多いのだけれども、こういった決まり文句(というか常套句)は常々気になっている。
彼の行方は杳として知れない。
「はっきりわからない」ではだめなのか。
寡聞にして知らない。
辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。
蓋し名言である。
本来の語義を失い、もはや「名言」にかかる枕詞と化しているようである。
これらの月並みな表現は須く濫用を慎むべきだと思う。