エレベーター

 副院長の秘書という女性が登場する。《男》 の敵なのか味方なのか、よくわからない謎の女である。
 《男》 は自宅に帰っているかもしれない妻に電話をかける。

 ベルは鳴りつづけた。
「駄目みたいね。」
「ためしに家に掛けてみているんだよ。」
 女秘書が肘掛けの上で姿勢を変えると、白衣の前が割れて、片膝が太股の上までむき出しになった。陽焼けした固ぶとりの肌が、ワックスをかけたようになめらかだ。白衣の下には、下着しかつけていないのだろうか。


 安部公房 『密会』

 結局、電話は通じない。そもそも、妻の行方を捜していたはずなのに、丸一日電話をかけないのはおかしいだろう。(手記にも 「なぜもっと早く思い付かなかったのだろう。」 と書かれている。)
 女秘書に誘われて、《男》 は職員食堂へ食事に出かける。

……エレベーターが到着した。彼女は乗り込むとすぐに、〈満員〉 の赤ランプを押し、鼻の上に皺をよせて意地悪く笑った。これで地下二階まで、相客なしのまま、留らずに行けるわけだ。
(中略)
「エレベーターの中は、盗聴器がきかないの。言いたいことがあったら今のうち。貸切りだけど、時間がないから、急いで言って。何か私にしてほしい事があるんじゃない。なけりゃこっちから先に言うよ。私、主任に、強姦されたんだ。」

 『密会』 における 《病院》 は女性器の隠喩である。特に、エレベータという密室は子宮そのものだ。
 それにしても、この女秘書、色仕掛けばかりか、畳みかけるような台詞まわしである。《男》 はとっくに妻のことなど、どうでもよくなっている。