「訊く」という表記について
なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信 - アスペ日記 を読んで。
「お前はまた何故結婚なぞしたのだ?」と、スクルージは訊いた。
上に引用した『クリスマス・カロル』には、「訊く」、「訊いた」、「訊ねた」という言葉(表記)がたくさん用いられている。"ask" の意味で「きく」を表すときに、「訊く」を用いる典型的な例である。
では、日本文学ではいつの時代からこの用法は広まったのだろうか。
ちょっと興味を持ったので、青空文庫からいくつか調べてみた。
「どうしたの」と訊(き)くと、
「お留守番ですの」
「姉は何処(どこ)へ行った?」
「四谷へ買物に」
僕の知る作家では、田山花袋が一番古い。(これ以前の使用例があったらご教示願いたい。)
では、夏目漱石はどうか。
細君は濃い恰好(かっこう)の好い眉(まゆ)を心持寄せて夫を見た。津田は取り合ずに笑っていた。すると細君が突然気がついたように訊(き)いた。
「もし手術をするとすれば、また日曜でなくっちゃいけないんでしょう」
夏目漱石 明暗(大正5年)
漱石の『こころ』以前の長編小説には、「訊く」が出てこない。ところが、晩年の作品、『硝子戸の中』、『道草』、『明暗』には用いられている。特に、『明暗』ではこれでもかというほど頻出している。
さらに、島崎藤村を調べてみよう。
「父さん」
と楼梯(はしごだん)のところで呼ぶ声がして、泉太が階下(した)から上って来た。
「繁ちゃんは?」と岸本が訊(き)いた。
島崎藤村 新生(大正7〜8年)
フランス遊学から帰国したばかりの藤村の作品には、「訊く」が用いられる。同時期に書かれた『ある女の生涯』にも1箇所だが用いられている。しかし、明治期の『破戒』、『家』、昭和期の『夜明け前』にはまったく出てこない。
以下、考察。
- "ask" の意味で「訊く」という表記が用いられるようになったのは、明治後期以降のことである。(少なくとも、「近年」ではないことはわかった。)
- 「訊く」表記は大正期に流行した可能性が高い。一人の作家の作品であっても、上に引用したように、ある時期のみ用いられている例があるからである。
- 日本文学、翻訳ものを問わず用いられるが、当時としては 《ちよつとハイカラな》文章表現だったのかもしれない。
- もっとも、「訊く」をまったく用いない作家もいる。森鴎外、芥川龍之介など。
気が向いたら、また調べます。