手塚治虫 『マンガの描き方』

 手塚治虫の 『マンガの描き方――似顔絵から長編まで』(1977年・光文社)があちこちで引用されているので、久しぶりに書棚から取り出してみた。僕の手元にあるのは光文社 カッパ・ホームスという How to 本シリーズの一冊だ。
 1977年といえば、後期手塚の絶頂期である。『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』と『ブッダ』と『火の鳥』と『ユニコ』と『MW』を同時に雑誌連載していたのだから、人間業とは思えない。そんな時期に、全くの初心者からプロの新人漫画家までを幅広く対象とした 「マンガの描き方」 を執筆していたのである。
 内容も豊富で、絵の作り方、ストーリーやプロットの組み立て方、ギャグの描き方など今読んでも古さを感じさせず、読み物としても十分面白い。
 以下は巻末に近い箇所から。少し長くなるがそのまま引用したい。

ハレンチ学園』や、『のろいの蛇女』や、『トイレット博士』や、『やけっぱちのマリア』や、『がきデカ』は、発表されると、そのつどPTAや教育委員会や、いろんな団体からヒンシュクを買った。
 しかし、そのさわぎも何年かたつと、霧のように消えてしまった。中には、「今から見ると、たいした表現じゃないじゃないか。」といわれるものもある。
 ぼくは、そんないきさつよりなにより、そういう圧力団体が、漫画をふくめた、一方的なとりしまりや規制をしてしまうことがおそろしい。これは、いうなれば言論弾圧だ。
 しかし、漫画を描くうえで、これだけは絶対に守らねばならぬことがある。
 それは、基本的人権だ。
 どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、断じて茶化してはならない。
 それは、
 一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと。
 一、特定の職業を見くだすようなこと。
 一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと。
 この三つだけは、どんな場合にどんな漫画を描こうと、かならず守ってもらいたい。
 これは、プロと、アマチュアと、はじめて漫画を描く人とを問わずである。
 これをおかすような漫画がもしあったときは、描き手側からも、読者からも、注意しあうようにしたいものです。


 手塚治虫 『マンガの描き方――似顔絵から長編まで』 「ふろく 漫画はふてぶてしく描こう」

 最近、東京都青少年健全育成条例改正問題があちこちで話題に上っているが、問題点はすべて手塚に語りつくされているのではないか。

  1. マンガは「どんなものを、どんな風に描いてもいいのだ。」(上と同じページより引用)
  2. 圧力団体による言論弾圧はよくない。
  3. だが、基本的人権だけは茶化してはならない。

 手塚の主張は上の三点である。この主張には僕も同意する。基本的人権をおかすマンガは存在する。だが、そういうマンガを読まない、あるいは子供に読ませないようにするのは作者や読者が行うべきものであって、お上が判断したり取り締まったりするべきものではないのだ。
 手塚が亡くなった翌年、《黒人差別をなくす会*1 という圧力団体からの抗議により、『ジャングル大帝』 が絶版になったことがある。基本的人権の尊重や人類愛をうたった手塚マンガにも、差別的な要素はある。また、現代の視点で読めば、男尊女卑などが普通に描かれた作品も多いと思われるかもしれない。
 手塚がもう少し長く生きて、このような批判を直接耳にしていたならば、新たなマンガの表現が生まれていたかもしれないと思う。


マンガの描き方―似顔絵から長編まで (知恵の森文庫)

マンガの描き方―似顔絵から長編まで (知恵の森文庫)

*1:黒人差別をなくす会 - Wikipedia参照。日本人によって構成された団体。黒人が入会できるのかどうか不明である。