植草甚一 「コーヒーと古本とモダン・ジャズ」

 植草甚一といえば1960〜70年代サブカルチャーの神様というか、伝説的存在の人である。一時はちょっと大きな本屋に行けば書棚一段全部植草甚一が占めているような感じだったのだが、最近さすがに見かけなくなってきた。

 街の中を歩きながら、ああ、きょうは古本をだいぶ買ったなと思うと、うちへ帰るまえにコーヒーが飲みたくなるものだ。歩きすぎて、すこし疲れているし、おいしいコーヒーを出す喫茶店にはいって、買った本をパラパラとめくるのが、もう長いあいだ、ぼくの癖になってしまった。
 モダン・ジャズがすきな人は、見わたしたところ、本がすきな若い人たちが多いようだ。それも新しい翻訳小説に興味をもっているのは、そういった作品があたえる感覚的なものがジャズから受ける感覚的なものと、どこかで共通点があるからだろう。たとえばオーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」(アトランティック盤)がそうだ。……(以下略)


 植草甚一 「コーヒーと古本とモダン・ジャズ」

 上は「コーヒーと古本とモダン・ジャズ」(1969年発表)と題されたエッセイの冒頭部分だが、コーヒーと古本の話はこれ以上ほとんど出て来なくて、あとはオーネット・コールマンだのセシル・テイラーだの前衛派ジャズに関する記述が延々続くのである。(読み返してみたら、ずいぶん古臭い文章だったけれども。)たぶん、ジャズのレコードを聴きながら原稿を書いているうちに、そういう雰囲気になってしまったんじゃないかと思う。
 ところで、僕が行きつけにしている古書店(例の看板娘がいる店です)は、植草甚一が生前かよった店だということが判明した。そんなに大きな店ではないが、岩波文庫の書棚が3本(3段じゃないですよ)並んでいるようなところである。看板娘はその後、代替わりして、ちょっと文学少女っぽい感じのひとが働いている。割引券をくれたりするので、つい足を運んでしまう。付近に良い喫茶店が見当たらないのが唯一の難点である。

ジャズ来るべきもの(+2)

ジャズ来るべきもの(+2)